時の波動、佐渡島の村祭り"岩首大祭"
小さき集落で300年以上継承されてきた気高き宴
佐渡島はその歴史背景から本州より多くの文化が人ずてに流れ、独自の島文化を築きあげてきました。世阿弥などからの薪能芸能や、西廻り航路が開かれ貿易の中継地点として、西日本や北陸の文化が伝わり、貴族文化や武家文化、町人文化がまさに渾然一体となって佐渡特有の豊潤な文化色を形成してきた歴史ある離島。
そんな文化豊かな土地には、多くの村祭りが開催されています。その中の一つ、人口わづか146人(2009年現在)の集落、岩首で300年以上継承され続けてきた岩首大祭に2010年18日より取材に出かけてきました。
300年以上続く佐渡島 岩首に伝承する岩首大祭
一日中鳴り響く鬼太鼓の波動
東京から新幹線で約2時間、新潟港(万代島埠頭)から高速船で約1時間。両津港から路線バスで約1時間の計4時間ほどで到着する島の中部に位置する、集落、岩首。そのユニークな名前の集落で、9月19日(日)に村をあげてのお祭りが開催されました。
過疎化が進む中、島の伝統文化である鬼太鼓の演奏と演舞で有名な「鼓動」の若き研修生達がこの祭りを早朝から深夜まで盛り上げてくれます。深夜0時、熊野神社の境内ではお神酒を酌み交わしながら、祭りに備える地元の方々で賑わっています。一番太鼓が鳴り響き、その後、一時間おきに太鼓の波動は岩首の闇のを轟かせて夜明けを呼び込みます。日の出とともに、集落の家を一軒ずつ10数名の研修生が演舞と鬼太鼓を披露して廻ります。家の人達は彼らに食事やお酒、そして「御華代」といご祝儀を渡します。このご祝儀ごとに一演奏、約10分ほどの演舞を披露してくれます。これを朝から夜中まで続けるから踊り手達も、それは交代で一苦労。
鬼役の2人は午前と午後で交代するそうですが、その踊りは腰を落とした姿勢を続け、さながらヒンズースクワットのように腰を何度も低く移動させるという、かなりな有酸化運動。一回,披露するたびにお付きのこ達がストローに入った水を差し出し、お面の後ろから内輪で仰いで疲れを癒しています。これを6時間ほど踊りっぱなしとは、鉄人級です。
前日の夜からお神酒で内蔵中を清めて熟睡中のアラフォー隊長、囃子の音色と太鼓やかけ声が段々と近づき出動。カラフルなハッピを来た集団が朝日の中でにぎやかに踊り出している光景が目に飛び込みました。何とも男らしい踊りですが、女性の踊り子さんも威勢良く地面を踏みならして舞っています。昔は男性だけが踊りを披露していたそうですが、今では時代の流れで女性も「鼓童」に多く在籍しているとのこと。家から家へと鬼太鼓とともに渡り歩きさながら、岩首でお世話になっている大石家に到着。昼間から酒盛り大会。もちろん、朝ビールで祭りに挑んでいました(笑)。この日は見知らぬひとも家に招き上げ、どの家でも飲食を提供して盛り上がる一日。なんとも懐の広いお祭りです。
夕方には以前、漁業の取材をさせて頂いた佐藤漁業の佐藤会長宅にお邪魔し、ズワイガニを頂きました。いゃー旨いのなんの!まさに「はれ」の日。なんとも夢見心地な祭り。最後は熊野神社に獅子がお宮入りするクライマックス、なんと、前日からのお神酒が効きすぎて最後までみずに早々に大石家に勝手に帰宅し失神。なんとも(涙)、デイドリームで、ある意味、贅沢な人間です、私は...。
目が覚めると昨日の天候と打って代わり雨模様。まさに、あれは白日夢のごとし。周りを見回すと同じような同胞が二、三人がとなりに倒れているのを見て安堵の気持ち。
純血論と継承のニ律背反
過疎化の続いた集落では、次第に祭りを運営する若い人達も少なくなり、一時期は継続も困難な時期もあったそうです。そんな中で、鼓童の若い研修生達を招いて祭りを継続することがはじまったそうです。当初も今でも、岩首の祭りを一部、外の人々が大勢で行う事に疑問を持たれる人もなかにはいるそうです。これは、日本の人口分布における高齢化などの労働力を海外の人材にたよる介護労働の問題などにも通じることと感じます。担い手の減少を外の力で補強、継承することのジレンマ。純血にこだわり朽ち果てていくか、未来に継承するために新たな血を受入れるか。純血を守ることも伝統を継承することも、自然ななり行きだけでは解決できないこと。私たちが未来の子供達に何を継承出来るのか、残してあげられるのか、そのことを改めて考えたひとときでした。
この天高き岩首の空に、鬼太鼓の鼓動が響き渡る時間が脈々といく年も流れることを静かに願います。
みらいバンクVlo.2は、岩首大祭を未来に納めます。